ばくはつ書店(゜ε゜).本店

全国の書評界を震撼させたあのばくはつ書店が復活した。
知る人ぞ知るばくはつ書店の復活祭はスゴイらしいぞ。
チラっと寄ってみるのも一驚あり。
じっくり寄ってみるのも徒然なるままに・・・。
本当に役に立つ本・DVD・CD・ゲームの評価集はこちら!(^-^)v
特にゲームは新作の予約ができちゃうという魅力も絶品!!

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細川幽斎伝
細川幽斎伝
平湯 晃
■読者感想■ブログランキング!!
時代は流れていっても、その時代時代で処世術を身につけている人々は、良きにしろ悪しきにしろ有名になっていくものなのでしょう。
■知識・常識■
細川藤孝(ほそかわふじたか)(後の幽斎)と忠興(ただおき)(細川ガラシャの夫)の父子は、織田信長の命を受け明智光秀と丹後を平定。
その功績によって天正8年(1580)に信長から丹後国を与えられ宮津城と田辺城(舞鶴城)を建てて父子共々この丹後地域を統治することになりました。
織田信長が本能寺で薨れると細川藤孝は髪を落し、玄旨法印幽斉と改め、信長の死をいたみ、明智光秀の誘いをことわり、忠興は光秀の娘玉子と結婚し子供もあったが、妻子を野間の味土野(竹野郡弥栄町)に閉じ込めた。その上、幽斉父子は羽柴秀吉の味方をして光秀追討の準備にかかった。
細川幽斎は、剣法を塚原卜伝に学び、波々伯部貞弘から弓術の印可を受け、弓馬故実を武田信富から相伝されるなど武将として秀でていたとともに歌道や連歌の道を学び、「古今伝授」を受けて和歌の伝統を継ぎ、茶道、料理、音曲、刀剣鑑定、有職故実などあらゆる学問、芸能の奥義を極めるなど当代随一の文人としても名高く、文芸に関する数多くの著述を残しています。
天正13年、羽柴秀吉は「豊臣」の姓を賜り、関白の位についた。
細川幽斉は従二位法印に、忠興は四位の侍従となり、秀吉の斡施によって妻子を味土野から田辺(舞鶴市)によびもどした。後陽成天皇の天正15年(1587)細川幽斉は秀吉の九州征伐に参加し恩賞として大隅の国(鹿児島県)に隠居料として3000石を与えられた。
秀吉が朝鮮に出兵したときに、奉行浅野長政から、若狭国(福井県)小浜の豪商組屋に朝鮮出兵の兵糧米として、丹後の宮津から米3000石と、大豆1000石を、九州名護屋まで輸送せよという命令がきた。運搬には、7、800石積みの船が使われた。
慶長2年(1597)2度目の朝鮮出陣に際しては細川勢も参加した。
慶長3年(1598)秀吉が病没後、細川忠興は急に徳川家康に近づいていった。
■おすすめコーナー■
→ 曼殊院門跡
→ 京都うぇるなび





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宮津城(京都府宮津市)


 23日以前、宮津城(みやづじょう。舞鶴城。1580年細川藤孝築城)の外堀跡で安土桃山〜江戸時代の枡形(ますがた。敵の侵入を防ぐ枡形の石垣)が発見された。  出土したのは12×2×高さ1.3mで、もとは2mほどの高さだったという。[京都新聞]

  • ☆★☆★☆ 〜古今チップス〜 ☆★☆★☆
  • 2006/08/25 12:05 PM

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  • 2006/09/13 10:24 AM

vicodin


たまに来ますのでよろしくお願いします。

  • vicodin
  • 2006/09/27 2:31 PM
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